芸術は美しいものばかりではない。

イギリスの詩人、ハーバード・リード
 「芸術は必ずしも美ではない」
 「芸術は過去においても現在においても、しばしば美しいものではない」

画家、フランシス・ベーコン
 「芸術はその均斉の中に、どこか奇異なものがなければならない」

芥川賞作家、村田喜代子
 「絵画の襲撃は理屈抜き。理不尽に襲いかかる、一回きりの網膜への事件なのである」

リードはまさに芸術は「必ずしも美ではない」「しばしば美しいものではない」と言い切っています。
ベーコンは「均斉の中に、どこか奇異なものが~」と言っています。
村田喜代子の言葉を深読みすれば「理不尽に襲いかかる」とか「網膜への事件」といった言葉に、どうも美しいものばかりではない様子がうかがえます。
美しい芸術作品はたくさんありますが、美しいだけではない芸術作品もたくさんあるのです。
極端な言い方ですが、醜い・怖い・どこか変、といった美しさとは真逆の絵の方が圧倒的に多いのかも知れません。
下の作品は「均斉の中に、どこか奇異なものが~」と言ったベーコンの作品です。

色や形、線の動き、目や口の表情など、本当に素晴らしいです。バックの薄い紫色や黒・茶・黄・白などの色を使った人物との色彩的な調和は見事に均整がとれています。
私は特に白の使い方に感嘆しました。素晴らしいです。
しかし、確かに奇異ですね。
「どこか奇異なものが~」と本人は言っていますが、どこかどころではなく、すべて奇異と言ってもいいでしょう。
そして、この奇異な絵は、まぎれもない一級の芸術作品です。
この作品を初めて見た方は決して「綺麗だな~」とか「美しい!」といった感動の仕方はしないと思うのです。
逆の言い方をすれば、美しいものだけに感動があるのではなく美しいとは言えないものであっても感動はあり得るのです。
芸術は必ずしも美ではないのです。
リードが言うように、それは歴史が証明しています。
次に日本美術をとり挙げたいのですが、長くなるので簡単に記します。
長い歴史の中で日本美術は意外と美しい作品が大半です。
日本は、島国のため海外との接触が少なかったのも原因でしょう。
ヨーロッパのように、陸続きで他国と接し、その長い歴史が争いの歴史であるような状況とは違います。
従って、おとなしい民族です。
花鳥風月の言葉もあるように、美しいものを求めればよいという土壌があったのでしょう。
しかし、奇異な作品や美しいとは言えない作品もたくさん存在します。
ここでは、半世紀前に出版された、辻惟雄の「奇想の系譜」という書籍を紹介するに留めます。
この書籍に出てくる画家は、岩佐又兵近衛・狩野山雪・伊藤若冲・曽我蕭白・長澤芦雪・歌川国芳などです。
これらの画家はこの書籍によって脚光を浴びることになったのですが、ご興味のある方は是非ご一読ください。
日本の美術も「しばしば美しいものばかりではない」ことがわかるはずです。

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