芸術って何、文豪たちの言葉

芥川賞作家、村田喜代子
 「絵画の襲撃は理屈抜き。理不尽に襲いかかる、1回きりの網膜への事件なのである」

芥川賞作家、開高健
 「絵画の感動のきっかけは、最初の一瞥にある」

イギリスの詩人、ハーバード・リード
 「芸術は必ずしも美ではない」
 「芸術は過去においても現在においても、しばしば美しいものではない」
 「芸術の感動は直観である」

文豪ではなく画家ですが、フランシス・ベーコン
 「芸術はその均斉の中に、どこか奇異なものがなければならない」

芸術の秘密を少し覗いたような気がします。
それぞれに二つほど共通点があって、一つは、感動は見た瞬間にあるということです。
村田喜代子は「襲撃・襲いかかる・1回きり」などの言葉で表しています。
開高健は「最初の一瞥」と言っています。
リードは「直観」と言っていますが、これは見た瞬間に通じるでしょう。
幼いころ感動した絵画はたくさんありますが、当時その絵画の内容については全く無知です。
後年、書籍などでその絵の背景や意味するところを知るのですが、それはその絵に対する知識が深まっただけで、その知識から得られる感動は、最初の感動と比べれば僅かなものです。
いい絵はおおむね最初の一瞥で感動するのです。
昨今、テレビなどで絵画展が紹介され、その絵の背景や作者の知られざる業績などが紹介されると、その展覧会に長蛇の列ができ、人混みの中で絵を見る状況があるそうです。
分からなくはないのですが、少々寂しい気がします。
どんなに優れた芸術作品であっても、人混みの中でやっとの思いで見る状態では感動はありません。
可哀そうなのは人混みの中で観られている作品でしょう。
作品に対する冒瀆と言ったら過言でしょうか。
もし言葉が話せたら「私に対する侮辱だ。あるべき所に返してくれ」と言っているかもしれません。
そこで私は提案します。ご自身で誰も知らない感動的な絵を探すのもいいと思うのですが、如何でしょう。
予備知識もなく、身構えることもなく、そんな自然体での状況で、思いがけず出会った絵画が、あなたを襲撃し理不尽に襲いかかるかもしれません。でも、それは言葉とは裏腹に、しばらくして何とも言えぬ幸福感があなたを包み込むでしょう。目頭が熱くなるような感動と幸福感です。

もう一つの共通点である、芸術は必ずしも美ではないについては次回の投稿とします。

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