人はなぜ絵を描くのでしょう?(洞窟編)
現存している絵画で、最古とされるのが洞窟画です。
南フランスのラスコーの洞窟、コスケールの洞窟、ショーベの洞窟やスペインのアルタミラの洞窟などが有名です。
ざっくり2万年前から3万年前の私たちの先祖が描いた絵が残っています。
残念ながら本物は見ていないのですが、図録で見た限りではこれらの絵はとても上手です。
現代人の私達よりずっと上手ではないでしょうか。
なぜこんなにも上手な絵が描けたのかについては考察しませんが、人類の絵を描く技術は古代からさほど進歩してこなかったと言えそうです。
洞窟と聞いて私達は、浅いトンネルのような単純な横穴を思い浮かべると思うのですが、実は絵が残っているこれらの洞窟は、意外と奥が深く迷路のように入りくんでいます。
方向音痴の私が入ったら、きっと出られなくなるでしょう。
そんな環境が幸いして、何万年の時を経ても風雨から逃れ劣化せずに残ったのです。
昼間であっても太陽の光は届きません。電気もない時代にどのような明かりを使ったのでしょう。苦労したことでしょう。
苦労といえば、私達が大きなキャンバスに絵を描くとしたら、そのキャンバスを描きやすい高さに置きます。キャンバスの中央が顔の高さくらいでしょうか。
洞窟はキャンバスのように移動できない壁ですので、描く場所の高さは顔を中心として、上は手の届く範囲、下は膝くらいまででしたら描きやすい範囲です。
ところが、実際には実に描きにくい天井に近い所に描かれていたり、広い空間もあるにも関わらず、わざわざ立つ事も出来ない狭い空間であったり、実に描きにくい場所に描かれているのです。
天井に近い高い所には、足場を組んだのでしょう。まるでシスティーナ礼拝堂のミケランジェロです。
では何故そんな苦労をしてまで、洞窟の奥深くの描きにくい場所に描いたのでしょう。
洞窟はその時代の人々にとって美術館だったのでしょうか。そんなはずはありません。
絵を見せるために描いたのであれば、何も洞窟の奥深い壁には描かなくてもいい訳です。
洞窟の中の絵は見せるためではなく、まさにその逆で、見せることを拒んでいるのではないでしょうか。
描かれている絵は大半が四つ足の動物で、植物はありません。
動物が大半なので通説として食糧である獲物(動物)が捕れるようにとの祈願の絵であると言われていました。
しかし、今ではこの説を唱える学者はほとんど居ないようです。
根拠として、描かれている動物は当時食糧としていた動物ではなかったことが判明してきたうえ、意外と当時は食糧が豊富で、保存に適した気象環境だったことも分かっています。
私は食糧祈願を目的とした絵であった可能性もおおいにあり得るだろうと考えるのですが、ただ洞窟の中の奥深く明かりも無い描きにくい場所に何故という疑問が残るのです。
さて、本題に入りましょう。
※生(生命)はどこから来るのでしょう?
※死はどこへ行くのでしょう?
少し変な疑問ですね。
生(生命)は人間であれば男と女、動物であれば雄と雌の交尾により、精子と卵子が結合し、細胞分裂を繰り返し、やがて女(雌)の体内から出て生まれる訳です。
小学校や中学校で習った通りです。
そうは理解していても、やはり新しい生命の誕生は、神秘であり不思議です。
そして、生命には心が宿り、感情が生まれ、一人一人違った性格が出来上がってきます。
それはいったいどこから来るのでしょう?
生物学・現代医学の先生に聞けばきっとそれも、精子と卵子の結合した瞬間から生まれて育つのです。という答えが返ってきそうです。たぶんその通りなのでしょう。
しかし、感覚的には別のような気がしてなりません。
肉体は交尾によって、魂はその後どこからか肉体に入り込んで宿る。
私はそんな錯覚にとらわれてしまうのです。
2万年前の私たちの先祖も、交尾によって新しい小さな命が女(雌)かた誕生することは経験上知っていたでしょう。
しかし、その行為の結果としての新しい生の誕生は、大いに神秘であり不思議であったはずです。
そしてそれ以上に、心・感情・魂については、大いに疑問だったのではないでしょうか。
「新しい生命は女の体内から生まれるが、それ以前はどこにあったのか? 心・感情・魂は、どこからやって来たのか?」
とても素朴ではあるのですが、自然な疑問だと思うのです。
そして、死です。
現代人の我々よりも死が身近であった彼らは、死によって肉体が腐り土に還り滅びることは十分知っています。
しかし、心・感情・魂はどうなるのかと考えなかったでしょうか。
私はきっと考えていたと思います。
「生命の誕生の不思議さ。肉体が滅んだあとの魂はどうなるのか」
絵が描かれている場所は先に述べたような描きにくい所ですが、もう一つ共通項があって、それは岩面がやや膨らんでいる所に描かれているそうです。その膨らみの形に合わせて動物が描かれています。
人はなぜ絵を描くのでしょう?(洞窟編)の、私の仮説はもうお分かりと思います。
入りくんで奥まった洞窟は全ての生命誕生の場所=すべての生命を司る子宮、なのです。
彼らはそう考えたに違いありません。
膨らんだ岩面は生命が宿る腹部でしょう。
その中に新しい生命が宿り、滅んで肉体から離れた魂が入り込むのです。
生(生命)はどこから?
死はどこへ?
そんな思いが洞窟の中に絵を描かせたのです。
私はそう信じています。
2万年前のご先祖様にお会いしたいです。
※(ある洞窟絵画について書かれた書籍を読んでいる過程で、上記に述べたような思いに囚われたのですが、いくら読み進んでも私と同じ仮説が出てきません。やっとその書籍の最後の方でほんの少々お世辞程度にそれらしき事が書かれていて「もっと早よ言えよ!」と思いつつ、安心した記憶があります。私の思いと同じ結論を持っている研究者はいると思うのですが、そのような方を知りませんし書籍も読んだことがありません。そのような書籍をご存じでしたら、是非教えていただきたくお願い致します。)